100の人生
私は、人の能力も、人生も100だと思っている。
容姿・スキル・性格っていういろんなスキルとか諸々をすべてひっくるめて100になると仮定して、生まれる前にそれがいい感じに分配されてくるもんだっていうのが私の持論。
例えば、具志堅洋行はスポーツが飛び抜けてできるから、その分頭は良くない とかね。
何かが突出してできる人は何かが絶望的にできないとか、突出してできるものはないけど、何もかもをソツなくこなしてしまうとか、結構思い当たる節があって、この論理から行くと結構納得できる。
だけど、これは前提として「ポテンシャル」の話で。
不確定要素としてその100の拡大っていうものは間違いなくある。
特に知識が代表格。あるいは体型とかね。
努力の分だけ変化していくことは間違いないから、大きな変動要素となる。
どこかの偉い人も、人の人生は8割決まっていて、2割は努力次第って言っていたような気がする。
たぶん、私の感覚もそれに近いんだと思う。
2割をとことん努力しきれるか否かが、その人の人生を変えるか否かにかかってるのかな。
結果か、プロセスか
結果至上主義が一方的に良いとは思わない
頑張っても報われないことはたくさんあるし、どれだけ努力したのかを見ないとどうにもやりきれないことはあるし。
けど、あまりにもプロセスを重視しすぎても
がんばったから いいじゃん!
という論理に振り回されるような気がしていて、あまりお勧めしたくない。
何事もほどほどに???
結局都合のいいことばでまとめてしまう。
それはちょっと嫌だから、個人的に思っていることをまとめてみる。
ちょっと無理のできる若いうちは結果主義でもいいんじゃないかな。と思っていたり。
だって、言い訳しないでとことんやれる体力があると思うから。
じゃあなんでプロセス主義があまり好めないんだろう。
それはきっと、言い訳の材料に使えてしまうから。
結果がでなかったことが正当なものと思えるように繕うこともできてしまうから。
なんだかそれが、往生際が悪くて、好きじゃないんだろうなあ。
あなたは、結果主義ですか?プロセス主義ですか?
信頼に報いるということ
〇〇を紹介してください!
繋いでください!
~って、できますか?
最近、そういう人が私の周りに増えてきたように思う。
もちろん、自分が持っていないネットワークを他人が持っているのであれば、ありがたく使わせてもらうことに文句は一切ない。
私だって、たくさんの人を紹介してもらったし、そのお陰で今があるといっても過言ではないから。
問題は、その前に「誰かを繋いでもらう」ことの裏に、どのような意味があるのかを理解していない人が多すぎること。
紹介してもらうとき、ただ単純にその事象のみに焦点を当ててはいけないのは当たり前に持っていなければいけない感覚で。
紹介する方は、あなたを信頼できる人だと思っているからあなたのサポートをしてくれている。
あなたに紹介される方は、「紹介者の知り合いだから」というプラスのイメージを持ってあなたに接する。
人を紹介・繋いでもらうとき、それを意識している人はどれだけいるのか。
自分がどう動くかによって、ともするとあなたを紹介した人の信頼も失いかけないことを認識しているのか。
誰かが持っている人間関係というのは、その人が時間をかけて作り上げた財産そのものだ。
その財産を分けてもらうとき、あなたはどれだけの覚悟と気概を持っているだろうか?
信頼にきちんと報いる義務があることを理解しているだろうか?
繋いでください!の気軽な一言を言う前に、今一度胸に手を当てて考えてみてほしい。
たくさんの想像力とすこしの言葉
師走の寒い日々が続いている(ようです)が、私はといえば真夏の寝苦しい夜も続くような毎日を地球の反対側パラグアイで送っています。
のんびりゆったりとしたパラグアイにある、日本食料理屋さんで働いているのですが、従業員は店長以外みんな日本語の話せないパラグアイ人。
私はというとスペイン語を話せない日本人。
¡Hola!
Me llamo Haruna.
日本を発つ前に辛うじて覚えたスペイン語は、これだけ。
英語がほとんど通じない南米を舐めているとしか思えない私ですが、間違いなく舐めていました。
分からないスペイン語の波にストレスを感じながら、伝えられないフラストレーションを抱える日々。
大してハードな生活をしている訳ではないはずなのに、口唇ヘルペスが唇に現れる。
大してハードな生活をしている訳ではないはずなのに、夜11時半には体力の限界が訪れる。
ストレスフル社会(と言われている)の日本の方がストレスを感じないと強く、強く断言できます。笑
言葉が伝わらない状況が、ちょっとだけ変わったのが昨日。
スペイン語習得は必須スキルだと思い、少しずつ勉強をしているときに気づきました。
「もっと効率的に勉強できる。」
もう数日働いているのだから、料理に使う材料はある程度覚えている。
仕事をしているときに使いたい言葉も大体同じもの。
それだけをまずは集中して覚えてやろう。
にんじん、ねぎ、ピーマン、鶏肉、豚肉、牛肉、、、
焼く、揚げる、作る、、、
文法なんてよく分からないし、何が正しいスペイン語なのかも分からないけれど、とにかく「伝えなきゃ」の気持ちが一番に働いていました。
この日の仕事では、文章全体は何を言っているのかさっぱり分からなくても、単語をしっかり聞き取って、相手が何を言おうとしているのか、ゆっくりだけど理解できることが多くなったのです。
Donde~?
Comer?
あ、まかない食べるか?って聞いてる。あ、おいしいか?って聞いてる。あ、料理の作り方を教えようとしてくれてる。
単語しか分からないから、その時の状況から想像力を働かせて考えます。
それが、大体あってる。
私も、覚えたてのスペイン語を使って、身振り手振りを加えて一生懸命返事をします。
¡Esta es~!
¡Yo~!
¡Si!
文法なんてめちゃくちゃだろうし、発音なんて大変なことになっているんじゃなかろうか。笑
でも、通じる。
私が一生懸命話をしようとすると、相手も一生懸命理解しようとしてくれたり、話しかけてくれるようになったのが嬉しくて、とっても幸せな気持ちになった一日でした。
ほんのちょっとの言葉とともに、たくさんの想像力を働かせれば言葉なんてほとんど分からなくてもコミュニケーションは取れる。
そう確信しました。
うまく話せないから、できないから、海外に行くのはまだちょっと…だなんて、とっても大きなチャンスを逃している。
もちろんできるに越したことはないし、できればできるほど世界も広がる。
チャンスがあるなら、言葉が話せなくたって飛び出してみればいいじゃない。
飛び出した先で言葉が話せるようになるかもしれない。
やってみなきゃ分からない!
たくさんの想像力と、すこしの言葉があれば大丈夫。
心からそう思った日でした。
東京の学生はスレている
東京の学生はスレている。
(お前も東京の学生だろって言われたらそうなんですが)
先日、2泊3日で名古屋にGOしていました。
宿泊型研修で、東海の学生と二晩を共にしときに思ったこと。
東海の学生って、あったかい。
とにかく、あったかいんです。言葉で表せない。
返事一つをとってもそうだし、雰囲気から態度からもう。
東京だと人と接するときに壁に壁を作って接してしまうけれど
東海の人と接しているときはその壁がぐっと薄かった気がする。
楽しかったし、優しかったし、何よりなんだか安心した。
もちろん東海の人たち全員が温かいわけではないし、
東京の人がみんなスレているわけではない。
それはとーーーーってもよく分かっているのだけど。
温かい人がいる割合はきっと地方の方が多い気がした、そんな2泊3日の宿泊研修でした。
明日からは今度は滋賀です。行ってきます。